大久保寛司さんのRADIO「あり方研究室」!
第11回のテーマは「呼吸を合わせる」です。
■VOL.11「あり方研究室」〜「生涯TRYし続ける人生②」〜
こちらからお聞きいただくことができます。↓
GUESTは上野美佐穂さん、中編です。
前編はこちらからお聞きいただくことができます。
▽大久保寛司’s RADIO「あり方研究室」VOL.10 「生涯TRYし続ける人生」
大久保寛司さんは、長年、日本中のいい会社と呼ばれるありとあらゆる企業を訪問し、その本質を洞察し、その経験を活かして、多くの経営者から師と仰がれ、のべ10万人以上の人の行動を変容させてきた「伝説のメンター」と呼ばれる方です。
令和の時代、そしてWithコロナの時代は、「あり方」の時代になっていくと思います。
これまでは、目を外に向けて、社会の中でどう上手くやっていくか、どうしたら、この社会に適合し、成功するかといった「HOW TO=やり方/LIFE STYLE」がフォーカスされ、よりよく成長しながら生きていくという視点が主流でした。
これからは、指を自分に向けて、ありのまま、あるがままの自分とつながって、日々、自分はどうありたいかという「BEING=あり方/LIFE STANCE」をセンターにして、自然に豊かに生きていくという観点にシフトしていくのではないでしょうか。
〜この研究室は、私が皆さんと共に学ばせていただく場です〜大久保寛司
「あり方」について、「教えてほしい」という姿勢ではなく、自分なりに考え、学ぼうとする方は、皆さん、この研究室の研究員です。
共に学んでいきましょう!
今回のGUESTは、障害(生涯)TRY人、上野美佐穂さんです。
【上野美佐穂さんプロフィール】
1974年、上野家待望のかわいい姫として誕生。1歳半の時に「この子は難病で3歳までしか生きられない」と医師から宣告を受け、両親を絶望させる。
そんな宣告を受けたことなどお構いなしにスクスク育ち、5歳の時に先に母を亡くすという予想外の出来事が!
その後、療育施設に入所。父親に「お前は身体が自由に動かせない分、頭で他の人を追い越すのだ!」と言われ、毎日必死に勉学に励む。
高校入学にあたり、都内の施設から埼玉の療養施設に移り、地域社会とは閉鎖されたような毎日を過ごす。
多くの仲間の死に触れるたびに「自分はここで一生を終えるのか〜」と絶望感に苛まれていた。
20歳の時、ある大学生たちとの出会いで人生は一転。
「人生まだまだ捨てたもんじゃない!」と、脱・施設を決意。
24時間介助者のサポートを受けながら、アパートで一人暮らしを始めた矢先、突然、人生を共に歩むパートナーが現れる!!
2001年、障がいがあっても自分の選んだ場所で、自分の選んだ人たちと、自分の選んだ生き方ができる社会の実現を目指し仲間とともにNPO法人を設立し沢山の障がいのある人たちの地域移行に貢献したが、2018年10月を持って17年間の活動にピリオド。
「終わりに⭕️と思える生き方」(オワマルライフ)を実践していくことを決意し、新たな一歩を踏み出した。
「大の唐揚げ好き」ということと、「食事はみんなで食べた方が美味しい」という想いから、「みぃから食堂」を毎月開催し好評を得ている。
プライベートでは、大好きな浦和レッズの応援や、国内、海外、様々なところに出かけていき、人生を謳歌中。
■障害(生涯)TRY人 みぃちゃんの”我が まま”を生きるばしょ
VOL.11のRADIOから、一部内容を抜粋してご紹介します。
VOL.11「生涯TRYし続ける人生②」
大久保:自分をどんどん出せるようになったきっかけって何かあるんですか?
上野:まず最初は、24歳で病院を出ようと、思ったんですよね。当時、もう22年くらい前なんですけど、まだ地域での支援とかサービスとかいうのが、ほとんどなかった時代なんですけど、私のちょっと上の先輩たちが、そういう活動を始めてたんです。
私がいた病院から、2人出た人がいたので、その人たちを見ていて、彼女たちができるんだったら、私にもできるかもっていう風に思ったんです。
大久保:そうかそうか、先例があったんですね。でも、常に介助者がいないと生活できないですよね。
上野:そういう人たちを支援する団体というのが、当時まだ出来たばかりでしたけど、私はその先輩を頼って、いろいろ聞いて、ノウハウを教えてもらって、そこで最初は支援してもらう形で始まったという感じです。
その後、3年間、その団体にお世話になって、自分の生活介助者を見つけたりですとか、自分の生活基盤を立てていくっていうことをずっとやってきました。やっぱり、病院とは全然違う生活環境になって、すごく“生きてる感じ”がしたんです。病院にいた時は、機械的にすごく生かされている感じがしていて。
大久保:……機械のようにね。人間としてじゃなくて。
上野:ただ生きてるだけ、呼吸しているだけ……起きる時間から寝る時間まで全部スケジュールが決まっていて、トイレの時間とかも全部決まっていたんですよ。
大久保:きついですねぇ。トイレの時間を決められても、決められた通りには行かないですもんね。
上野:そうなんです。それでちょっとルールを破ると、悪い患者扱いになってしまうので……。私はそれが嫌で、世渡り上手をずっと演じてきたんですね。
大久保:演じられるんですか(笑)。どうやって演じるんですか?
上野:とにかく自分はそこで生きていくしかないから、嫌な扱いを受けないようにっていう……。人の顔色を見て、ご機嫌を取って。だから、自分の「こうしたい」っていうのはちょっと置いておいて、気持ちよくやってもらえるように、私が……何て言うんでしょうね、自分を守る方法をいっぱい探して、可愛がられるようにというか……。わがままを言わないように。
父親からは、小さい頃から、とにかくお前は人の手を借りないと生きていけないわけだから、可愛がられるように、とにかく「ありがとう」「ごめんさない」をたくさん言うようにと、言われていたんです。
私は、その言葉の意味とか使い方をあまり理解できないまま、とにかくやってもらったら、「ありがとう」「すみません」「ごめんなさい」っていうのを繰り返してました。
でも、気持ち、心の中では……思ってないときもありました(笑)。
大久保:もちろん思っていなくても言ったほうがいいんです。でも、思って言うのが一番いいです。思って言わなくては、伝わらないから。そういう意味では、あなたの場合は、思わないときでも、言っていたわけですね(笑)。
上野:後から考えると、「何であんなに言ってたんだろうな」っていうのはありましたね。自立して、介助者の方、ヘルパーさんたちに24時間支えてもらうわけなんですけど、最初に出会ったヘルパーさんに、「あなたは、何でそんなに『ありがとう』とか『ごめんなさい』とか言うの?」と言われて、そこで初めて我に返ったというか……。癖(くせ)になってたってことですね。
大久保:癖という表現より、身についていたっていう表現のほうがいいと思いますね。身についていたんですよ。すごい大事なことだと思いますね。それで、そのヘルパーさんが「本当に思った時だけ言うのでいいんだよ」って教えてくれたんですね。
上野:きっと、その方からしたら、私が気持ちがないのに言ってるような感じが伝わったんだと思うんです。そこでハッとして、あ、こんなに謝らなくていいんだと。ちょっとペンが落ちて拾ってもらったら、「ごめんなさい、すみません!」みたいな感じだったんですよね。
大久保:なるほどなあ、確かにあまりこまめに言われると、介助してる方は、「そんなに言わなくてもいい」という気になるんでしょうね。
上野:そうですね。「私たちは、お金をもらって来ているし、あなたがいたから、私は、ありがとう、助かってるよ」って。「だから、そんなに、ビクビクして言わなくていいんだよ」と。そういう方と出会えたので、それからは自分の気持ちを少しずつ出せるようになってきたんです。
大久保:いい人に出会えましたね。
介助してくれたヘルパーさんのおかげだったんですね、きっかけは。いい出会いでしたね。
上野:はい。
大久保:上野さんは料理がお得意だと伺いました。
上野:えっとですね…………料理をする時は、「マウスクッキング」って言っているんですが、私は口が達者なので、頭で考えて、(言葉を)口にすることはできるんですよ。でも、自分の手で包丁を持ったり、フライパンを握ったりすることができないので、その代わりを介助の方にしてもらって、料理を作るっていうスタイルなんですけど。
大久保:レシピは自分で考えるんですか?
上野:そうですね。あとは、いろいろな料理家のレシピを見たり、クックパッドとかを見て、「今日はこれを食べたいな」と思ったものを作ったりしています。
大久保:口頭で指示するわけですよね。
上野:そうです。もうちょっと火を強くしてとか。切り方も結構うるさいんですよ。楽しくやってます。私、食べることがすごく好きなんです。施設にいた時は、決まったメニューしか出てこないですし、とにかく冷めているんです。小さい頃から施設にいたので、その料理がどういう風に料理されて出てきてるのかっていうのもわからなかったんです。魚も切り身しか出てこないので、その魚がどういうふうに売り出されているかとか。
でも、毎日メニューを見るのが楽しみで、1ヵ月の献立表をいつもいつも見ながら、「明日はこれか」「えーこれかあ」と、楽しみにしたり、「明日は何も食べられるものがないなあ」みたいな日があったりとか……。
大久保:別の角度から考えると、そういう施設の中で、体がまるで動かない中で、メニューを見るのが、一つの最大の喜びだったんですね。
上野:それしかむしろ楽しみがないというか、変化がないというか。やっぱり好きなものが出てくると、すごい喜んで、嫌いなものや苦手なものが出てくると、どうやってお腹をいっぱいにするか、みたいな。
大久保:わからないんですけど、人に食べさせてもらうというのは、思ったように食べられないのではないんですか。介助する方の中にも、食べさせ方の上手い人と、そうではない人がいるんじゃないかなと。
上野:呼吸が合ってくると、次に口に入ってくるものが、言わなくても……わかるようになります。
大久保:呼吸が合わないと、「それ違うわよ」とか「まだ食べてるわよ」とか、「ちょっと休ませてよ」とか?
上野:はい。でも、そうも言いにくいんで、「ちょっと待って」とか穏やかに言うんですけど。
大久保:例えば、私たちが、お互いに食べさせるというゲームをやったとしたら、口にうまく入らないですよ。こぼれてしまいますし。そういう体験をしてみるとすごい難しいことがわかると思います。自分で食べるときは、自分で食べたいものを選べるじゃないですか。
ですが、普通、(相手の食べたいものなんて)わからないですよね。
上野:私は、白米が最後に残るのは嫌なんですよ。なので、ちょうどよく、おかずとご飯が終わりたいというのがあるんですよね。
大久保:どうでもいいですけど、私も同じです(笑)。ちょうどバランスよく、両方がちょうど無くなる感じがいいんです。共通点見つけましたね。
上野:そういうバランスで食べられるというのは難しいんですけど、でも、一緒にいる時間が増えていくと、自然にできるようになってくるんじゃないかなと思います。
大久保:呼吸が合うというのは、どんな状況であっても、どんな職場であっても、人間と人間がいる限り、すごく大事なことです。呼吸が合わなければ、いろいろなことがズレていってしまうんです。
(つづく)
上野美佐穂さんとのお話は、後編へ続きます。
✴︎「あり方研究室」は、音声でも配信しています。
■「あり方研究室」VOL.11音声配信
■オンラインショップ「BASE」にて本書内挿絵を販売しています!
大久保寛司(おおくぼかんじ)「人と経営研究所」所長
日本IBMにてCS担当部長として、お客様重視の仕組み作りと意識改革を行う。退職後、「人と経営研究所」を設立し、20年間にわたり、人と経営のあるべき姿を探求し続けている。「経営の本質」「会社の本質」「リーダーの本質」をテーマにした講演・セミナーは、参加する人の意識を大きく変えると評判を呼び、全国からの依頼が多数寄せられ、延べ10万人以上の人々の心を動かしてきた。
特に、大企業・中小企業の幹部対象のリーダーシップ研修、全国各地で定期的に開催されている勉強会では、行動変容を起こす人が続出している。
著書に、『考えてみる』『月曜日の朝からやるきになる働き方』『人と企業の真の価値を高めるヒント』など多数。
大久保寛司著『あり方で生きる』
購入はコチラ▷Amazon
■書籍「あり方で生きる」には、章ごとに、大久保寛司さんの音声ナビゲーションが付いています。
「はじめに」「おわりに」の部分は、下記から無料で聴けますので、よろしければ、こちらから、お聴きいただければと思います。
✴︎
VOL.11のお話に関連する「あり方で生きる」の中の1項目です。
14「人生の主人公になる」
これまでの「あり方研究室」はこちらから、どうぞ!↓
▽大久保寛司の「あり方研究室」
■「あり方研究室」公式LINEアカウント
今後の更新情報や耳よりの情報などをお知らせいたします。
宜しければ、下記をクリックして、ぜひ、ご登録をお願い致します。