大久保寛司さんのRADIO「あり方研究室」!
第10回のテーマは「環境も生い立ちも越えるもの」です。
■VOL.10「あり方研究室」〜「生涯TRYし続ける人生」〜
こちらからお聞きいただくことができます。↓
GUESTは上野美佐穂さん、前編です。
大久保寛司さんは、長年、日本中のいい会社と呼ばれるありとあらゆる企業を訪問し、その本質を洞察し、その経験を活かして、多くの経営者から師と仰がれ、のべ10万人以上の人の行動を変容させてきた「伝説のメンター」と呼ばれる方です。
令和の時代、そしてWithコロナの時代は、「あり方」の時代になっていくと思います。
これまでは、目を外に向けて、社会の中でどう上手くやっていくか、どうしたら、この社会に適合し、成功するかといった「HOW TO=やり方/LIFE STYLE」がフォーカスされ、よりよく成長しながら生きていくという視点が主流でした。
これからは、指を自分に向けて、ありのまま、あるがままの自分とつながって、日々、自分はどうありたいかという「BEING=あり方/LIFE STANCE」をセンターにして、自然に豊かに生きていくという観点にシフトしていくのではないでしょうか。
〜この研究室は、私が皆さんと共に学ばせていただく場です〜大久保寛司
「あり方」について、「教えてほしい」という姿勢ではなく、自分なりに考え、学ぼうとする方は、皆さん、この研究室の研究員です。
共に学んでいきましょう!
今回のGUESTは、障害(生涯)TRY人、上野美佐穂さんです。
【上野美佐穂さんプロフィール】
1974年、上野家待望のかわいい姫として誕生。1歳半の時に「この子は難病で3歳までしか生きられない」と医師から宣告を受け、両親を絶望させる。
そんな宣告を受けたことなどお構いなしにスクスク育ち、5歳の時に先に母を亡くすという予想外の出来事が!
その後、療育施設に入所。父親に「お前は身体が自由に動かせない分、頭で他の人を追い越すのだ!」と言われ、毎日必死に勉学に励む。
高校入学にあたり、都内の施設から埼玉の療養施設に移り、地域社会とは閉鎖されたような毎日を過ごす。
多くの仲間の死に触れるたびに「自分はここで一生を終えるのか〜」と絶望感に苛まれていた。
20歳の時、ある大学生たちとの出会いで人生は一転。
「人生まだまだ捨てたもんじゃない!」と、脱・施設を決意。
24時間介助者のサポートを受けながら、アパートで一人暮らしを始めた矢先、突然、人生を共に歩むパートナーが現れる!!
2001年、障がいがあっても自分の選んだ場所で、自分の選んだ人たちと、自分の選んだ生き方ができる社会の実現を目指し仲間とともにNPO法人を設立し沢山の障がいのある人たちの地域移行に貢献したが、2018年10月を持って17年間の活動にピリオド。
「終わりに⭕️と思える生き方」(オワマルライフ)を実践していくことを決意し、新たな一歩を踏み出した。
「大の唐揚げ好き」ということと、「食事はみんなで食べた方が美味しい」という想いから、「みぃから食堂」を毎月開催し好評を得ている。
プライベートでは、大好きな浦和レッズの応援や、国内、海外、様々なところに出かけていき、人生を謳歌中。
■障害(生涯)TRY人 みぃちゃんの”我が まま”を生きるばしょ
VOL.10のRADIOから、一部内容を抜粋してご紹介します。
VOL.10「生涯TRYし続ける人生」
大久保:今、上野さんは車椅子ですね。お話によると、脊髄の不具合から体が動かない、発達しないということてすが、それは、何歳の頃からですか?
上野:わかったのは1歳半ぐらいの時です。生まれた時は、まだ分からなくて、両親がちょっと不安に思って、病院を何件か回ったら、この病気だったっていうことが分かったんです。
大久保:その時、ご両親はやっぱ苦しかったでしょうね。
上野:母は、私が5歳のときに亡くなっています。私は2歳半から施設に入っていました。最初は、母子入園と言ってお母さんと一緒に、おうちで育てられるように、私の育て方を学ぶという目的で入ったんですけど、母はもともと、重度の喘息が持病があって、私の育児と、兄もいたので、いろいろなことが重なって、体に負担がかかったのか分からないですけど、ドクターストップがかかりました。その後、母親だけ自宅に戻って、私は施設で、そのまま暮らしていました。
父も働きながら、兄の面倒もみなければいけないということで、小さい頃は、施設の方にもよく顔を出していたんですけど、いろいろ重なってくると難しくて、年に3回ぐらいと長いお休みの時に、私を迎えに来て自宅に帰るという生活でした。
大久保:その頃から、車椅子ですか?
上野:はい、ずっと車椅子です。一度も歩いたことはないです。
大久保:4歳、5歳くらいで段々、物心がついてきて、歩いてる人を見たときは、どんな感じになりましたか?
上野:施設でずっと暮らしていたので、自分は歩けないっていうことを受け入れたのは、小学校の高学年ぐらいです。
私はずっと歩けるようになると思って、リハビリをしていました。すごい厳しくて、装具でがんじがらめにされて立たないといけないなど、と今思うと、あまり意味のないリハビリだったなって思うんですけど。
大久保:当時はそういうリハビリが良いと思われてたんですね。
上野:私は、筋肉が成長しないので、骨がだんだん変形していくんですね。だから、足とか腕とか、まっすぐ伸びなくなってくるんですけど、それを何Kgもの重りを乗っけて、まっすぐに伸ばして、装具にぐるぐる巻きにされて立って1時間とか・・・そういうリハビリを小さい時はずっとしていました。
大久保:その後、中学高校は、どうされたんですか?
上野:施設に隣接している、特別支援学校があったので、そこに小、中、高と通いました。一般の学校の教科書と同じものを使っていましたが、私が通っていた特学校は、養護学校、特別支援学校の中でも、すごい勉強をする学校だったんですよ。やることがないので、勉強ばっかりしていました。
高校卒業後、私は、進学をしたいと思って大学受験を希望したんですけど、当時はまだ、今みたいな世の中ではないというか、私たちみたいな重度障害者を受けいれてくれるような支援が、ほとんど無くて、通うことは、物理的に難しかったんです。
それで、放送大学という通信で学べる手段があったので、そのことを病院(療育施設)の方に聞いてみたんですけど、「あなたのためだけに、その時間帯、テレビを使うことはできない」と言われてしまって。
というのは、今は、パソコンとかも普及して、一人一台みたいなことが、許されているんですけど、当時は、テレビも40人ぐらいの患者さんで2台とか3台を、みんなで共有する形だったんですね。
きっと、今の私ぐらいガツガツしてる性格だったら(笑)、もっといろいろな手段が見つけられたのかもしれないんですけど、当時は、そう言われたら「そっかー」となって、諦めてしまいました。
大久保:いま、ご自身で言われた「今みたいにガツガツしてなかったから」というのは、いつ頃から、変わられたんですか?
上野:病院で24歳まで過ごしたんですけど、本当に未来が、全く見えなくて。仲間が何人も亡くなっていっていました。今は、だいぶ医療機械なども発達して、例えば、呼吸も助けてくれる機械ができていますけど、当時はそういうものもあまりなかったので、大体、私たちみたいな難病の人達は、「20歳まで生きられればいい」みたいなことだったんです。
私も、実際、「3歳までしか生きられない」と言われてきたので、私の目標は、17歳ぐらいまで、生きられればいいかなと。17歳になった時には、20歳まで生きられればいいかなと、本当に、小さなステップを生きてきたという感じなんです。
大久保:医学的に、3歳までしか生きられないと言われても、実際は、違っていましたよね。いかに、そういうメッセージというものに、意味がないかという風に思います。それは、多分、過去の経験上から言っているんです。でも、人によって、違いますよね。
上野:はい。ですから、お医者さんが言ってることは、もちろん、捉え方だとは思うんですけど、「自分が信じる」と思うことは信じて、「いや、でも、私は」というところは、自分の考えを大事にするようにしています。
大久保:かつて、全身火傷で運ばれて、「一晩持つかどうかわからない」と言われた方に、お会いしたことがあるんです。
両親も駆けつけてきて、その日はなんとか生き延びるんですけれど、ドクター達や看護師からも、「まあ、2、3日持てばいいでしょう」と言われても、また生き延びるんです。そのうち、横になって、普通にちゃんと生きられるようになると、「でも、ずっと寝たきりですね」と言われていたら、車椅子に乗れるようになって、実は、今、歩かれているんです。すごいですね。
今、彼は、すごいきつかった経験ではあるけれど、自分のこの経験を生かして、いろいろなことを世の中に伝えていくのが、自分の役割じゃないかなと仰っています。
つまり、ドクターたちにも、もちろん悪気はないですけれども、だからといって、ドクターの言葉が、常に絶対ではないということです。
(つづく)
上野美佐穂さんとのお話は、中編へ続きます。
✴︎「あり方研究室」は、音声でも配信しています。
大久保寛司(おおくぼかんじ)「人と経営研究所」所長
日本IBMにてCS担当部長として、お客様重視の仕組み作りと意識改革を行う。退職後、「人と経営研究所」を設立し、20年間にわたり、人と経営のあるべき姿を探求し続けている。「経営の本質」「会社の本質」「リーダーの本質」をテーマにした講演・セミナーは、参加する人の意識を大きく変えると評判を呼び、全国からの依頼が多数寄せられ、延べ10万人以上の人々の心を動かしてきた。
特に、大企業・中小企業の幹部対象のリーダーシップ研修、全国各地で定期的に開催されている勉強会では、行動変容を起こす人が続出している。
著書に、『考えてみる』『月曜日の朝からやるきになる働き方』『人と企業の真の価値を高めるヒント』など多数。
大久保寛司著『あり方で生きる』
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■書籍「あり方で生きる」には、章ごとに、大久保寛司さんの音声ナビゲーションが付いています。
「はじめに」「おわりに」の部分は、下記から無料で聴けますので、よろしければ、こちらから、お聴きいただければと思います。
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VOL.10のお話に関連する「あり方で生きる」の中の1項目です。
48「環境も生い立ちも越えるもの」
これまでの「あり方研究室」はこちらから、どうぞ!↓
▽大久保寛司の「あり方研究室」
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