大久保寛司さんのRADIO「あり方研究室」!
第16回のテーマは「人生の終わりに○と思える生き方」です。
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■VOL.16「人生の終わりに○と思える生き方(オワマル)①」
GUESTは、小松さやかさん。前編です。
こちらからお聞きいただくことができます。↓
大久保寛司さんは、長年、日本中のいい会社と呼ばれるありとあらゆる企業を訪問し、その本質を洞察し、その経験を活かして、多くの経営者から師と仰がれ、のべ10万人以上の人の行動を変容させてきた「伝説のメンター」と呼ばれる方です。
2020年以降、これからは「風の時代」になると言われています。
所有から共有へ、ひとりひとりの個性・オリジナルが尊重される世界へなど、「ジャッジしない」「本質的なつながり」の時代が到来するようです。
そして、令和の時代、Withコロナの時代は、「あり方」の時代になっていくと思います。
これまでは、目を外に向けて、社会の中でどう上手くやっていくか、どうしたら、この社会に適合し、成功するかといった「HOW TO=やり方/LIFE STYLE」がフォーカスされ、よりよく成長しながら生きていくという視点が主流でした。
これからは、指を自分に向けて、ありのまま、あるがままの自分とつながって、日々、自分はどうありたいかという「BEING=あり方/LIFE STANCE」をセンターにして、自然に豊かに生きていくという観点にシフトしていくのではないでしょうか。
〜この研究室は、私が皆さんと共に学ばせていただく場です〜大久保寛司
「あり方」について、「教えてほしい」という姿勢ではなく、自分なりに考え、学ぼうとする方は、皆さん、この研究室の研究員です。
共に学んでいきましょう!
今回のGUESTは、小松さやかさんです。
【小松さやかさんプロフィール】
「終わりに◯と思える生き方研究所」代表。
20代・・・医療ソーシャルワーカー、30代・・・専門学校教員の仕事を経て、40歳でライフコーチとして独立。医療福祉職、教員、カウンセラー、コーチなどライフサポートを仕事とする人のライフサポーター。
■終わりにマルと思える生き方研究所
VOL.16のRADIOから、一部内容を抜粋してご紹介します。
VOL.16「人生の終わりに○と思える生き方」
小松:「終わりにマル(◯)と思える生き方」のライフサポートというのを短縮して、「オワマル」というコンセプトでお仕事をさせていただいています。
大久保:それは何年ぐらい前からですか?
小松:5年前にライフコーチとして個人で仕事をやり始めたんですけれども、その途中で、元々大事にしたいと思っていた「人生の最期を意識する生き方」をもっとやっていきたいということで、オワマルというコンセプトをちゃんと出し始めたのが2年前ぐらいからです。オワマルは、どんな自分にもマルをつけるというか「許す」に近い丸つけなんですけれども、至らない自分をマルにして、このまま生きていこうよという感じなんです。
ですので、寛司さんの『あり方で生きる』の本の表紙を最初に見た時に、衝撃だったんです。
大久保:この表紙のマルは、実は、何十も書いたんですよ。
色の濃さとか、かすれ具合とか、結構苦労したんですよね。
小松:40歳の時にライフコーチとして起業したんですが、最初は本当にコーチングというのを何も勉強したことがなかったんです。
大久保:コーチングを勉強されてどうでした?
小松:私は元々、病院のソーシャルワーカーや相談業が、仕事の最初のスタートだったので、自分は人の話を聞けていると思っていたんです。
自分は相談業で人の話を聞く仕事をしてきたという思い込みというか「私はできている」というのがあったので、実際にコーチングを学んだ時に、「全然人の話を聞けていない」って気づくところからまず始まりました。質問やフィードバックによって、本人さえ気づかない本音だったりとか、そういうことを引き出す技術をひと通り学ばせていただいて、自分自身がその学びの中ですごく変わったんです。
大久保:どういうふうに変わられたんですか?
小松:特に自分の親子関係だったんですけれど、母が過干渉な母だったので、すごく嫌いだったんですね。嫌いだったんだけど「嫌い」と思ってはいけないとか、すごく傷ついていたのに「自分がいけないんだ」とか、そういうふうに思っていたことを、「私は嫌なんだ」とか「私は嫌いだったんだ」とか、そのままを一旦認めることができたというか。良い悪いではなくて、すごく本音がわかるようになったんです。
好きとか嫌いとかから始まって、気持ち悪いとか、そういうことに「不感症だった私」の感覚が戻ってきて、すごく自分とつながれた感覚があったんです。
自分自身とつながって、感覚が戻ってきて、本当のことを言えるようになって、そうすると、親に対しても、喧嘩も当然起こりますし。親の方は衝撃ですよね、今までいい子だったのに。喧嘩は起こるんですけど、そうやってぶつかったあとに、関係性が良くなったりということを、まず自分で体験したんです。
大久保:なるほど。
小松:その頃、専門学校の先生担任業務をしていたので、先生の仕事もしていながら、この「終わりにマルと思える生き方」の最初の動きというか、葬儀会社の社長さんと一緒にいろいろと動いてたんですよ。
大久保:「終わりにマル」という動きを葬儀会社の社長とやっていというのは、何か面白いですよね(笑)。
小松:もうちょっと学校の先生だけじゃなくて、広く一般の方に対してもやりたいなというのが出てきたこともあって、そういう本気を認めたり。
あと、二人目の子どもを産みたいんだけれど、親との関係が悪かったので、二人目を産んだ時に、またいろいろいざこざがありそうだなという気持ちを無視して、私が、「二人目が欲しいから産む!」とか、そういうふうに自分軸で考えられるようになってきたり。独立前5年ぐらいで、いっぱい自分が体験したんです。
大久保:ライフコーチというのも、そのあたりの体験をもとに、いろいろと人の相談に乗ってきたという感じですか?
小松:そうですね。自分自身が自分の本音を掴めるようになって、本音にしたがって選択するようになったことで、自分の人生が良いほうに行き始めたという経験がベースとなって、みんなももっと自分とつながって、いろいろな人に遠慮することなく、まず自分を生きることが大事なんじゃないか、というところで、最初はサポートさせていただいていたという感じです。
大久保:突然「カウンセリングやります」とか「コーチやります」とか言っても、人が申し込んで来るということは、そう簡単じゃないですよね?
小松:実は、結構簡単だったんですよね(笑)。それが良くなかったんです。最初の出だしが良すぎたのが。そうすると、一年目から、「こんなもんだ」とすごく行き過ぎちゃったんですよ。
まずお客さんをセッションするというところから始めようと、30名という人数を決めて、体験セッションをしていただくことにしました。
ある意味、いきなりデビューではなくて、それまで5年くらいかけてじわじわと伝えていたので、「じゃあ、すぐ、お願いします!」ということで、30名の体験の方の半分くらいが「ぜひ継続で」といった感じで枠が全部埋まっちゃったんです。
デビューの時に、起業塾でやり方を少し学ぶのに3ヵ月くらい行ってたら、そこで教えて下さっていた方が、あまりにうまくいっていたので、「コンテンツを売る人にならないか」と言われて……しかもほとんどが私のお金になるような割合で、「コンテンツを売ってもいいよ」と。
説明会をしたら7、8人の方がすぐ申し込まれて、それで見たこともない金額を受け取ることになりました。
それで、続々とクライアントさんも来るし、起業塾の半年コースのクラスもできちゃったり。
大久保:すごいじゃないですか。いわゆる世にいう売れっ子ですね。
人生がそのまま行けばですが、でも、行かないでしょう?
昔からことわざにあるじゃないですか。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という。
小松:「売れっ子です」なんて言うのも恥ずかしいくらい、勘違いした一瞬が来たという感じです。
それで、ちょっと場所がほしい、「サロン」とか、なんかカッコいいなと思って、浦和駅の目の前のマンションの一室を借りたんですよ。
さらに、夫が20年くらいずっと同じ会社にいて、私が輝いて「仕事が楽しい!」という感じでいるのを見て、「いいなあ~」みたいなことを言い出して。夫も別にやりたいことも見つかっていないのに、「一回辞めてみたら?手放したら何か手に入るかもよ」なんて言ってしまったんです。
サロンを借りたことでの固定支出とか、全部が一気に私の肩にいろいろな責任が来て、そうしたら調子が悪くなりました。
主人はもう仕事を辞めちゃった。ふたりの娘だって小さいし、場所を変えたから固定費がかかる。それなのに、じつはクライアントは減っていく、でも大きく見せなきゃいけないし、最悪ですね。
そんな感じが一番底で、そんな固定費を払って、夫の給料分までやるほどの稼ぎなんて当然なくて、1年ぐらいした時に撤退ですね。
その時に、本当に底で、お金もないし、でもなんか恥ずかしくて、「ない」なんて言えないし……。
両家の親に、そのままをさらけ出したんですね。
夫側の両親は、すぐの場所でよく行っていたので、何となくわかっていて、「いつ言いに来るかと思ったわ」みたいな感じだったんですけど。
私の実家は新潟で離れている上に、夫との結婚を反対されて、しかも途中でいろいろ喧嘩もしているので、すごく敷居が高くて、特に弱音を吐けなかったんです。
父に電話をして「じつは苦しい。(お金を)借りたいんだ」と言ったら、「旦那と一緒に来い」と言われて7年ぶりに行きました。
ふたりで本音を話したら、すごく優しくて、「あれ?私って愛されてた?」とびっくりしたんです。
裏を返すと、私はあまり愛されていないと思っていたんです。ちゃんと仕事をしてまっとうに生きていたら愛されるけど、そうじゃないと愛されないと思っていたので、いつも、ちゃんとしたところを見せてないといけないという感じだったんですね。
でも、一番最低な、親が期待しているのとは反対の自分だと思っていた自分、親が愛さないと思っていた自分を出したら、変わらずに、むしろもっと愛してくれたというか……。なにか勘違いだったんだと、そこから、いろいろな流れが本当に変わりました。
大久保:何がどう変わったんですか?
小松:まず安心したんですね。「あ、大丈夫なんだ。さあ、ここからもう一回行こう!」って思った時に、私自身がフッと安心したら……
「終わりにマルと思う生き方で行こう」という言葉がフッと降ってきたんです。それまでも、ずっと病院時代から「終わりに後悔しない生き方」のサポートをしようという言い方をしていたんですが、その頃、1、2名残っていたクライアントさんとのセッションで、「否定形の言葉を肯定形にしたらどうなりますか」みたいなコーチングをしていたんです。それで、「あれ?私もずっと後悔しないっていう否定形を使っているな」と気づいたんです。「これを肯定形に変えたらどうなる?」と自分に問いかけたら、「終わりにマル」となって、オワマルと言い出したんですよ。
そうしたら一気に……クライアントさんもどんどん来るようになった感じです。
大久保:言葉の使い方って大事です。
やっぱり、否定じゃなくて、肯定のほうがいいんですよね。
大脳生理学でわかってきたことは、大脳は、否定・肯定関係なく、その言葉をイメージしてしまうということです。
「失敗しないように」と言うと、「失敗」「しないように」とイメージしちゃうわけです。
私の知り合いが、あるトラック会社にアドバイスに行った時、「事故しないように」と言って、いろいろなトレーニングをするんだけど、なかなか事故が減らなかったそうです。
「事故しないように」と言うと、「事故」をイメージしてしまうわけです。
そうではなくて、「楽しく仕事してきてください」とか、「事故」という言葉を使わないようにしたら、事故が半減したそうです。
ですから、いかに世の中の「事故しないように」というトレーニングが間違ってるかっていうことなんですね。
「病気をしないように」と言うと、「病気」をイメージしちゃうんです。
「病気をしないように」じゃなくて、「健康に」と言ったらいいわけです。
「不愉快な顔しないように」じゃなくて、「笑顔で」と。
全部ポジティブな内容をそのまま表現したらいいわけですよね。
「苦しまないように」じゃなくて、「楽しんだら」とか。
多分、うまくいかない人は、否定の否定形を使うことが多いんじゃないのかなと思います。そういう意味では、さやかさんの「終りにマル」という表現は、大肯定かもしれないですね。
小松:そうなんですよ。私は、「全部マル」=スベマルと言っているんですけど、全部短縮しているんです。
「今にマル」で、イママルとか、カコマル、ミラマル、イママル、スベマルみたいに、ずーっと、「マル」と言っていたので、寛司さんの本の表紙を観た時に、本当に衝撃を受けたんです。
つづく
小松さやかさんとの対話は、中編に続きます。
✴︎「あり方研究室」は、音声でも配信しています。
大久保寛司(おおくぼかんじ)
「人と経営研究所」所長
日本IBMにてCS担当部長として、お客様重視の仕組み作りと意識改革を行う。退職後、「人と経営研究所」を設立し、20年間にわたり、人と経営のあるべき姿を探求し続けている。「経営の本質」「会社の本質」「リーダーの本質」をテーマにした講演・セミナーは、参加する人の意識を大きく変えると評判を呼び、全国からの依頼が多数寄せられ、延べ10万人以上の人々の心を動かしてきた。
特に、大企業・中小企業の幹部対象のリーダーシップ研修、全国各地で定期的に開催されている勉強会では、行動変容を起こす人が続出している。
著書に、『考えてみる』『月曜日の朝からやるきになる働き方』『人と企業の真の価値を高めるヒント』など多数。
大久保寛司『あり方で生きる』
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■書籍「あり方で生きる」には、章ごとに、大久保寛司さんの音声ナビゲーションが付いています。
「はじめに」「おわりに」の部分は、下記から無料で聴けますので、よろしければ、こちらから、お聴きいただければと思います。
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VOL.16のお話に関連する「あり方で生きる」の中の1項目です。
50「死ぬ時に、自分の人生に○をつけられる生き方」
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