ラグビーをはじめとするスポーツ界ではコーチのコーチとして、またビジネスの分野ではリーダー育成でも定評のある中竹竜二さん。今年、はじめて育児についての見解をまとめた、『どんな個性も活きるスポーツ ラグビーに学ぶ オフ・ザ・フィールドの子育て』を上梓しました。
その出版記念第3弾として中竹竜二さんと、本書に対談やコメントで登場する花まる学習会代表・高濱正伸さんの対談が行われました。テーマは、「子どもを伸ばす親の6カ条」。高濱正伸さんはラグビーのユニフォーム姿。去年の熱気をそのまま会場に運んできてくれました。今回は、この対談会の内容をお伝えします。
中竹さんの幼少時代
高濱さん:中竹さんと最初に出会ったときの印象の一つに、言葉がいちいち響くなというのがありました。それから対談をさせてもらったり、中竹さんの著書に登場させてもらったりすることになりました。ところで、中竹さんは福岡県の中間市出身です。最初に中竹さんの小さいころのお話から伺いたいと思います。
中竹さん:ご紹介にあずかりました中竹です。中間市の方がいらっしゃったら失礼かもしれないのですが…僕の生まれ故郷はカオスな町でした。「歩くときは、お金を靴のなかに入れなさい」というような、北九州のなかでも「あぶない」ところでしたね。周りは、みんな不良でした。
このような所で、僕はラグビーに出会うのですが、これが本当にたまたまで、家の前の河川敷のグランドにラグビー教室ができたからなんです。しかも、そのラグビー教室、元々はサッカークラブにするつもりだったそうです。設立の目的は、「あまりに不良ばかりがいてどうしようもないので、スポーツで何かよい方向に持っていけないかと考えたから」。でもサッカーをしたくて集まった人は一人もいなかった。そこで、ラグビーにしたのだそうです。僕が始めたのは、兄がこのクラブに入ったからでした。「喧嘩に強くなるからラグビーをやるぞ」というのが入会の動機だった人も結構いたみたいですし、最初は指導者にもラグビーの経験者はほとんどいなかったですが、今では優秀な選手を輩出するクラブになっています。
高濱さん:それは素晴らしいですね。中竹さんは、小さいときからラグビーで活躍していたのですか?
中竹さん:それが、まったく活躍できませんでした。小さいときから馬鹿にされるくらい足が遅かったですし。せっかくボールを持っても追いつかずで。僕はこれまで、基本的に人にがっかりされるという人生を送ってきてるんですよ。
でも、ボールを持っていないときは、活躍をすることができました。子どもだと10人くらいでプレーするのですが、ボールを持っている人が捕まったり、体の大きい敵が向かってきたときなどは、僕が率先して守ったりしました。小さいころから、ボールを持って活躍することはなかったですね。
高濱さん:それがラグビ―のいいところですよね。誰にでも活躍の場があるという。野球とかだと、「うまさの基準」が決まっている感じがありますよね。
中竹さん:そうですね。日本で運動能力の高い人は、野球に流れていく傾向がありますよね。僕が小中高とラグビーをしていたなかでも、同世代で本当に運動能力のいい子は、ラグビーにはいなかったと思います。これが、僕にとっての幸いでした。
さらにいうと、僕はラグビーのなかでも、とりわけ取り得のない選手が集まる「フランカー」というポジションにいました。フランカーをやっている人は、おそらく頷いてくれると思いますけれど…。フランカーは、背が高いとか、足が速いなどの特長がない人がなるものです。優秀な人は、フォア―ドやスタンドオフなどに行きます。でも、こんな中途半端なポジションにも、今では、リーチ・マイケルなどの優秀な選手が出てきていて、僕らからすると「こんなポテンシャルの高い人がこのポジションでいいのか?」といった感じですよ。なにはともあれ、ラグビーは誰にでも「生きる道」を残してくれているんです。
フランカー
スクラムの側面にいて、攻めたり守ったりするのが仕事です。フランカーの最大の特徴は、スクラムからすぐに離れることができるということ。ナンバーエイトもすぐに離れることができますが、スクラムの最後尾にいるためフランカーよりは相手との距離があります。相手のサイド攻撃などを止めるのは、フランカーの大きな役割になるわけです。
(引用先)
高濱さん:僕は、今日ラグビーのユニフォームを着てきましたけど、去年の今頃はラグビーですごかったですよね。
中竹さん:ありがとうございます。
高濱さん:密も密の状態で、大声を出して熱狂できた最後のシ―ズンでしたよね。もはや懐かしいですよ。
僕は「ラグビーはすごいな」と思いましたね。野球とは全く違う思想性が伝わってきましたし。中竹さんとお話して、「やっぱりな!」と思ったのは、スポーツのエリートだけが活躍するのではなく、各々の個性が集まってひとつになるということ。
中竹さん:面白いですよね。パズルのピースが集まっているみたいで。
高濱さん:ボールにさわらないまま試合が終わる選手もいますし。他の競技では考えられませんよね。話が戻りますけど、中竹さんは小学生のころは、どういう子どもだったのですか。勉強はできたのですか?
中竹さん:僕は、小さいときから勉強はそんなにできなかったです。あとで分かったことには、読字障害でした。話している分には普通なのですが、国語の授業の音読で文が読めなくて笑われました。悔しくて、小学2年生の時に、母親に真剣に相談したことがありました。ところが「私もそうだよ」と軽くあしらわれまして…。
高濱さん:それも何か「九州の母」らしいですね。
中竹さん:そうですよね。思えば、うちには本が一冊もなかったです。親が本を読む姿も見たことないですし、「字のない家」だったのですね。
文が読めないことを担任の先生に相談したら、「努力が足りない」と言われました。そこである時、徹夜で教科書の文章を丸暗記しました。翌日の国語で僕があたったときは、「よし!名誉挽回するぞ!」という気持ちだったのですが、ちゃんと読めた僕に対して、先生も友達もまったく何のリアクションもしてくれなかったのです。僕としては最高の舞台に立ったつもりだったのに、ですよ。そのときに一晩考え、「人に何かを期待するのはやめよう」という結論に達しました。これをきっかけに、わりと「冷めた」人間になっていった気がします。
ただ、この時考えたことがもう一つありました。「人の5倍くらいの努力をすれば、平均くらいまではいけそうだ」ということです。「人生長そうだけれど、仕方ない。人より努力しよう」と覚悟を決めました。ラグビーでも、走る練習をしたりして努力しても、特に短距離なんかは、なかなか人に追いつけないですし、器用なほうではないので、できないこともたくさんありますが「僕は、人より努力しないとダメな人生なんだ。努力するしかない」と、そう思いましたね。
高濱さん:なんてすごい子どもでしょう。もうすでに大分違いますね。「俺なんか」とならなかったのが、すごいですよね。「努力」という、人生にとって大事な要素についての確信を持てたのはよかったですね。潰されてしまうこともあるのに、潰されなかったのですね。ところで、お母さんはどういう方だったのですか?
中竹さん:そうですね、よく「どう育てたのか」と聞かれたりもするそうですが、母は、「子どもを育てた記憶は一切ない」と言うのですよ。父もそうです。
僕の家では、「~しなさい」というような教育的しつけが一回もありませんでした。怒られた記憶もありません。父親は、教育的な意味ではなく、殺気を発しているというような意味で「怖い人」でしたね。理不尽なところもありました。寝っ転がってテレビを見ながら、「おーい!ティッシュ取れ!」などと言ってきましたからね。逆らえませんから、遊ぶ手を止めて言われた通りにしていました。
高濱さん:これはもう、東京のお父さんには考えられないような世界ですね。お父さん(の存在)が怖いというのは重要ですし、ひとつの理想だと思いますよ。「~しなさい」という言葉を言われたことがないというのも、中竹さんの成長にとって大きな要素ですよね。
中竹さん:父も母も必死に働いていました。決して裕福ではありませんでしたが、ご飯はちゃんと出してくれましたね。子どもに対して、勉強について口を出したり、礼儀作法を教えたりする余裕がなかったのかもしれないですね。
高濱さん:ご兄弟は何人ですか?
中竹さん:兄と弟がいます。3人兄弟の真ん中です。うちは、「おはよう」や「ありがとう」などの挨拶もありませんでした。朝起きていれば「いる」とわかるのだから、挨拶はいらないよね、という暗黙の了解のようなものがあって。何かをしてもらったときに、感謝の気持ちをお互いに持ってはいるものの、わざわざ言葉にはしないというような、そういう感じでしたね。
高濱さん:思えば、うちもなかったかもしれないです。「他の家族は “おはよう” って言うんだ」と聞いたときに、兄弟で「おかしかねぇ」と言っていましたよ。「家族で挨拶ばすっと?」と。
中竹さん:へー!そういう雰囲気だったのですね。
高濱さん:中竹さんのご実家もこのノリに近いかもしれないですね。今は基本的には「挨拶大事」って僕も言いますけどね。家族がゆるくても、押さえるべきところを押さえていれば、育つものは育つということを、皆さんに感じてもらえるといいなと思いますね。でも、親の愛情を疑ったことはないでしょう?
中竹さん:それはないですね。
土の感じが自分のキャラにもぴったり―ラグビーの名門大学へ
高濱さん:そうですよね。中学では何の部活でしたか?
中竹さん:中学にラグビー部はなかったので、部活はサッカー部、週末にラグビーをしていました。サッカー部ではキーパーでした。走れないですしね。
高濱さん:キーパーって、少年にとっては憧れの一つですよね。「横っ飛びでゴールを守るのがカッコいい」というような。
中竹さん:僕は、横っ飛びとかをして土まみれになるのが結構得意でした。ラグビーでも僕は土まみれですし、土の感じが自分のキャラにもぴったりです。高校は、地元で一番ラグビーの強い高校に行きました。
高濱さん:東筑高等学校ですよね。あの文武両道の。この学校はすごい人を輩出していますよね。中竹さんもそうですし。
中竹さん:あと、高倉健さん。
高濱さん:高倉健さんもなのですね。これはまた大きいですね。
中竹さん:仰木彬 監督(昭和30年代の西鉄ライオンズ黄金時代に正二塁手として活躍し、引退後は西鉄、近鉄、オリックスのコーチ・監督を歴任した)も、ですよ。
高濱さん:「仰木監督の佇まいこそが東筑―!」ですね。高倉健さんは、いろいろ勉強してみた結果を持って「こうしなければならない」とか言ったりするタイプではなかったですよね、きっと。
中竹さん:もう一言「任せる」でしたね。あとは、平野啓一郎さんも同窓です。
高濱さん:素晴らしい学校ですよ。中竹さんは、ラグビーで早稲田大学に引っ張られるのですよね。
中竹さん:早稲田に引っ張られたというより、ぎりぎり引っ掛かりました。実は、高校3年生でラグビーはやめようと思っていました。6歳からラグビーを始めて約10年が経ち、体もぼろぼろでプレイヤーとしても限界。これ以上、上に行けないなと思っていました。
それで、福岡県で優勝して、全国高等学校ラグビーフットボール大会に行けば、とりあえず、僕のラグビー人生にピリオドを打つことができると思ったのです。ところが、ベスト8で軽く負けました。学校推薦で受ける大学も決まっていたのですが、その面接の日が準決勝と重なっていまして、「ラグビー人生にピリオドを打つ」ことを優先させた結果、この推薦入試を断りました。学校推薦ですから、受ければ受かったのですけれどね。ところが、準決勝どころか準々決勝で負けてしまったわけです。進路先もなくして、ラグビーの試合もその先に行けなくなってしまって。ここから受験勉強をして、何とか現役で地元の福岡大学に合格しました。ところが、入学したのはいいものの、「何かこのままいくと後悔するぞ」と思ったのですね。「もう一度ラグビーがやりたい」と。それで仮面浪人をすることにしました。
高濱さん:なるほど。やめたらフツフツと、ラグビーへの思いが湧き起こってきたのですね。それで早稲田大学に無事合格したのですね。
中竹さん:はい。でも僕は、元々早稲田大学にはあまり興味がなくて、明治大学に憧れていました。ところが、先輩がたまたま、「明治大学はラグビーで一番すごい大学だ。お前が行っても、箸にも棒にもかからないぞ。だからやめておけ。早稲田大学なら何とかなるかもしれない」と言うのです。それで「だったら早稲田だ」と進路を変更しました。
ボイコットを経て大学ラグビーのキャプテンに
高濱さん:素人目で見ても、早稲田は強いけれど、「時々強い」というイメージがありますよね。
中竹さん:確かにそうですね。一年仮面浪人をしているので、体も衰えきっていますし、もともと関節が弱いしケガだらけだしで、早稲田大学では、3年生まで一度も試合に出られませんでした。僕はこれまで全身麻酔の手術を7回やっているんですよ。本当はラグビーをやってはいけない体だったのでしょうね。ケガにしても、“名誉の負傷”とかではなく、ただ一人で走っていてコケる、ということから負ったものばかりで、医者にもケガの理由を言えなかったです。「一人で走っていて転んで」と言ったら「え?ありえないだろう?!」とか言われてしまうので……。
高濱さん:「ラグビ―部でケガした」って言ったらかっこいいのに。
中竹さん:こんな様子でしたから、3年生まで一度もレギュラーになれなかったです。なのに、4年生でまさかのキャプテンに選ばれて。これは、上の学年の部員と幹部、監督で決めるのですが、前代未聞なことに、これに僕の代全員がボイコットしました。この時の監督は、このボイコットに対する抗議の意味で監督を辞めてしまいました。監督不在です。先輩の幹部も僕がキャプテンになることに抗議してバトルをしているうちに、卒業していく…という有様でした。大学からもOB会からも「お前がやめるって言えばいいんだ」と散々言われました。でも僕としては、立候補もしていないですし、推薦されただけなので、「僕の同期(推薦した人たち)を説得してください」と言って冷静に立ち振る舞いました。そうしているうちに、自分たちの代になったので、僕がキャプテンになりました。でも、監督がいないので、僕がいろいろな人に会いにいって監督を決めました。
高濱さん:なるほど。それで、この代は強かったのですか?
中竹さん:周りからは、「この代は本当に弱い」と言い続けられていました。僕がキャプテンなので、尚更そう言われたのですが、何故か、全部接戦で勝利していくんです。決勝まで行って、明治大学に認定トライで負けました。
認定トライ
ディフェンス側の重い反則がなければトライになっていただろうとレフェリーが認めた場合に、オフェンス側に与えられるトライのことを言います。
参考
高濱さん:へー!それかっこいいですね。お話を聞いていると、「弱い人がたまたま…」とも思えますが、でも、仲間からキャプテンに推薦された時点でなにか良いところがあったわけですよね。それは何だったのでしょう?
中竹さん:おそらくなのですが…。プレイヤーとして僕に期待する人は誰もいなかったと思います。僕が皆から言われたのは、「お前がチームにいると自分たちの力が出しやすい」ということでした。ファシリテーションというか、モデレータというか。
高濱さん:話を聞くのがうまいとか?
中竹さん:そうですね。物事を決めるときに、自分が決めるということはあまりなくて、皆の言い合いを制して意見を整理するような立場でしたね。1年生のときからそうでした。僕の同期も30人、40人といましたが、1年生がするべき仕事をサボったりするんですよね。ですから、一応僕が皆を集めて「これとこれをしなければならないよね。」といったようなお世話役をしていました。
高濱さん:なるほどなるほど。ラグビーはからっきしだけれど…という。
中竹さん:そうです、そうです。
高濱さん:ちなみに、最後の早明戦は出られたのですか?
中竹さん:はい、出ました。
高濱さん:3枚目とうか、ダメ人間を装っていらっしゃいますが、すごいじゃないですか。
中竹さん:ダメ人間そのものですけれどね。
高濱さん:いやいや、決勝に出ているという時点で、選手としてもすごいですよ。
中竹さん:決勝のときはドクターストップぎりぎりでした。いま、試合前にキャプテンがコイントスをするのですが、僕のころはじゃんけんでした。実は、僕は指4本に脱臼癖があって。指一本ずつを独り立ちさせられないので、隣の指と一緒にテーピングしていました。だから、じゃんけんはグーかチョキしか出したことなくて、僕に負けた選手は一人だけでした。包帯を巻いてラグビーをしている感じでしたよ。
イギリス留学と名監督からの推薦―全日本の監督に
高濱さん:全日本(U20)の監督には、どういう流れでなったのですか?
中竹さん:ラグビーは一度大学で終わりにして、まったく何の当てもなくイギリスに留学しました。英語を学んだりはしましたが、他に何もしないでは帰れないと思って、無理やり人類学と社会学を学んで3年半かけてマスターを取りました。すごく勉強になりましたね。それで帰国して三菱総研に入りました。
ここで5年間サラリーマンをやっていたら、母校・早稲田大学のあの名監督、清宮さんから電話が突然かかってきました。僕も「清宮さんが監督になってから、強くなったな」と思っているところでした。清宮さん、こう言うんです。「僕の次の監督候補にお前をあげておくから考えとけ。今度メシ食うぞ」。僕としては、「何故?これはドッキリでしょうか」状態ですよ。清宮さんが「考えとけ」といった場合、ほぼほぼ命令ですからね。これはありがたく受けました。この時言われたのは「サラリーマンをやめて、監督に100%専念しろ」ということでした。そして、「働き口はない。これはボランティアだから自分で稼げ」「だめだったら1年で終わりだから」と。相当無茶ですよね。僕より後の監督は、給料が出るようになるんですけど、僕の時にはなくて、OBの会社が支援してくれていました。
高濱さん:選手からみたら、清宮さんという大スター監督が推薦した人なのか…という感じだったでしょうね。
中竹さん:ですね。しかも僕は指導したことなかったのでびっくりですよ。会社で例えると、働いた事のない新入社員がいきなり社長になるようなものです。僕はこのとき32歳でしたから、全然、社会人経験もなかったですし、ラグビーをやめてから10年は経っていました。それなのに、日本一の監督を突然任されたのです。
高濱さん:清宮さんの意志のありどころが謎ですね。中竹さんのどこを見込んだのでしょうね。清宮さん、何かおっしゃっていませんでしたか?
中竹さん:一つは、「俺より若い世代でチームを作ったほうがいい」ということでした。それは「確かに」と思いましたね。僕も同期も30~31歳くらいでしから、体も元気でまだ現役で頑張っている人もいて、このくらいの若いOBが部を支えるというのが大事だと。それから「お前の(ラグビーの技術においての)指導力はそんなに期待していない。指導できるヤツを集めてやれ」と。
高濱さん:清宮さんは中竹さんを調整役として見ていたのでしょうか。
中竹さん:そうですね。そう見ていたみたいですね。でも人によっては違うことを言っていたみたいですね。「中竹はサラリーマンをやっていて、もし結局監督がだめでもコンサルか何かになれるだろう。だから選んだんだ。」とか。
中竹さんが重視する力―「観察と傾聴」
―質問をいただきました。「中竹さんが大学時代に発揮された、ファシリテーション能力はどのように養われたのでしょうか。」
中竹さん:僕、質問には結構こだわるのですが、これはいい質問ですね。
「観察と傾聴」だと思います。言いたいことを言えない人はたくさんいると思いますが、大事なものを持っているかもしれないのですよね。大学のラグビーにも、子どもの世界にもヒエラルキーがあるものですし、体育会系ですと、レギュラーの人間のほうが声が大きかったりします。そういう人たちが他の人の意見に対して「それ、違うよね」という雰囲気を作りだすのです。
そこを僕は、フラットに「聞く」ということをすごくしました。一人一人に意見を聞くというより、皆が話している内容をうまくまとめて「こういう意見があるよね」と提示する。すると、意見を言えなかった人でも「俺もそう思っていた」というようなことになります。
高濱さん:これは仮説ですけれど、中竹さんが小さいころ読字障害であったことが、人一倍「聞くこと」に対する集中力を上げたのかもしれないですね。
中竹さん:これはいい仮説ですね。
高濱さん:中竹さんの全てが、ちょっと普通のこととは思えないですね。周りに認められるくらい、人をまとめる力に長けていたのもすごいことです。
中竹さん:自分のこれまでの経験から、「自分は疎外されているな」と感じる人を作りたくないという根本的な思いがあるのだと思います。大学のラグビーの同期、30、40人規模のミーティングでも内容がすごく濃かったですし、他の学年に聞くと「そんないい話し合いはできない」と言います。聞く体制というか、聞いてもらえているという感覚が割とあった、特殊な代だったようです。
本当のコミュニケーションのために―人間関係をフラットにする
高濱さん:先ほどの小学校の話ですけど、読めないのを笑うクラスメイトは、遊びのつもりかもしれなくても、本人にとってはきついですよね。
中竹さん:そうですね。バカにされて気持ちのいいものではないですよね。
高濱さん:これは怒られるかもしれませんが、美人が年齢を重ねるとあまり苦労せずにきたが故に薄いな…と思うこともありますね。
中年以降輝いている人には、何かしら内面を耕すきっかけとなる負の体験というか、何かそういうものがありますよね。内省して自分を深める時間を持っていたというか。中竹さんも結果「負」を良い方にもっていったのですね。
中竹さん:そうですね。体も弱くてポテンシャルもあまりなかったから、その分、人の何倍も考えることをしていました。
高濱さん:中竹さんは、人一倍考えていますし、社会の力学というか色々なことが見えていますよね。はぐれた人を作りたくないという博愛の気持ちからくる行動は自然なものだったのだ、とも思います。ということは、皆と仲が良かったんでしょうね。
中竹さん:仲良かったですね。
高濱さん:人に好かれるというか。何のためにスポーツをやるかというのは、『どんな個性も活きるスポーツ ラグビーに学ぶ オフ・ザ・フィールドの子育て』にも書かれていますが、スポーツには、社会人になったときに人として信頼され、活躍することができるようになるための訓練という側面もありあすよね。
僕は、マネージャ―経験のある人は優秀だなと思います。だから僕はマネージャ―経験のある人を採用したりします。こういう人たちは、人のために活きている時間が長いから「自分が」という風にならないです。
― 質問をいただきました。スポーツ界にいると、「言いたいことを言えない人もいる」という考えよりも「言いたいことがあるならはっきり言え」という考えの大人、傾聴することの大事さに気づいていない大人もいると思います。こういう環境を改善するには、何からやっていけば良いのでしょうか。
高濱さん:これは、まさに中竹さんがやろうとしていることではないですか。いい質問ですね。本業ど真ん中の質問ですね。
中竹さん:いい質問ですね。この場合、「言いたいことは言え」という力関係があること事体が良くないですよね。「言えない人は弱い人だ」という考えが根底に流れていますから。これは強い弱いの文化ですから、壊したほうがいいです。「言いたいことを言えない」という状況を生んでいるのは何か? これは、皆が考える必要があります。
また、自分の価値を保つために「言われたくない」という人たちも沢山います。例えば、スポーツの試合で成果を出せば、その人はずっとそのポジションにいることができます。ところが、「試合の結果や技術は関係ありませんよ。うまく考えることを大事にしますよ」という新しい意見が入ってきたら、急に自分の価値が下がるわけです。ですから、自己保全のためにヒエラルキーを利用する人がいるということです。でも、見方がもっとフラットになったら、このような人の学びにもなるのですから、「自分以外の意見がある」ということを知って、それを受け入れるという土壌を作っていくことが重要だと思います。
僕が大学でラグビーをやっているときも、議論はたくさんしてもらいました。これはうちの代くらいだと思いますが、レギュラーの1軍の選手に2軍の選手が「もっと練習しろよ」と言ったりしていました。それで「お前に言われたくない」などと喧嘩になったりするのですが、これが健全な姿ですよ。要するに「言っていい」し「喧嘩してもいい」のです。このぶつかり合いでフラットになることが重要だと思います。
高濱さん:普通は、フラットになるというのは怖いですからね。ニーチェではないですが、人間には「権力への志向」というものがありますし、マウント取っていないと安心できないものですからね。フラットになるというのは、本当の強さを持っていないとできないですよね。スポーツ界のここ数年の問題にも、まさにこの壁があったのでしょうね。
中竹さん:スポーツの世界では、技術のうまい下手ではなく、そのスポーツについてどれだけ知っているかという点でもヒエラルキーを作りたがります。例えば、「あいつラグビー分かっていないな」というのは、まさに僕が早稲田大学の監督になったときに言われた言葉です。「言いたいことがあれば、ラグビーを勉強して言えよ」。これで散々いじめられました。
この時点では、このチームで一番偉いのは「最新の内容含め、ラグビーを一番知っている人」だったわけです。
しかし、「人がコミュニケーションをとるときに何が大事なのか」という点が考えるべきポイントです。でもこの問いの答えは意外と分からなかったりするものです。
僕は練習や試合でもビデオを撮ります。これを元に監督風に解説をすることは、僕は得意としなかったのですが、コミュニケーションについての指摘はできました。
例えば、試合中にボールが落ちたとき、ボールをパスした方と受け取った方、どちらかが「こいつ…」みたいな顔をしていることがあります。すると、同じミスがまた起こるのです。お互いのせいにしているからですよね。こういう時、どちらが悪いかは分からないにせよ、「ごめん!ごめん!」と言うことができれば、ミスの原因を修正することができますから、この次はうまくいきます。
コミュニケーションによる解決ができないと人は成長しないですし、チームも強くなりません。
僕は、たった一つの軸でエラくなったつもりになるのは、もったいないよね、という考えを選手たちに伝えています。
高濱さん:それはすごい新しいですよね。誰もやっていないのではないですか。あちこちの社会組織でそういうこと起こりますよね。マウントをとりたくて…という。夫婦でも「だから言っただろ。そのやり方でやれって」と妻に言う愚かさ然りですね。人のせいにし合う夫婦がうまくいかない問題とも繋がりますね。親子も会社もそうですし、コミュニケーション論の究極というか、面白い課題ですね。これをどうもっていくかですね…相当、強い人間でないと「俺が悪かった」と言いにくいですよね。
中竹さん:上下関係の戦いをしている時点で、この課題は解決しないですよね。それを超えていく何かがないと…。人間関係においては、競争自体がないと思うことが結構重要かと思ったりしますけどね。人間関係に勝ち負けがないということになれば、本当のコミュニケーションが始まると思います。
高濱さん:人はこれで長らくきましたから、変えるのはなかなかに大変だと思いますが、本質をついていると思います。「人のせいにしてはだめだ」と思っても真の底では勝ちたいものだと思いますし、人より上に行って安心するというのがどうしてもあると思います。
試合の勝敗の前に、いかに自分に勝つか ― オフザフィールド
― 今のお話は中竹さんが大事にする「オフザフィールド」に繋がる話だと思います。この言葉についてお話いただけますか。
中竹さん:段階を追ってお話しますと、スポーツには、 “オンザボール” のプレーと “オフザボール” のプレーがあります。前者は、ボールを持って走る・打つなどのことで、これが今までスポーツで一番注目されてきたことで、これがすごいのはもちろんのことです。後者はそれ以外です。
スポーツをよく見ると、ボールのそばで活躍する人がいる一方、ボールとは離れた場所、つまりこの “オフザボール” で、必要な動きをする人がいるのです。名将といわれる人は昔からこの重要性が分かっていましたし、スポーツが進化するにつれて、一般的にもこれが大事だということがだんだん分かってきました。
さらに、“オンザフィールド”(=競技するフィールド)だけでなく“オフザフィールド”(=競技以外)の重要性も見えてきました。
スポーツの試合数が少なかった昔は、「野球のプレーがひたすらすごい」というような人が沢山いて注目されました。でも、今は「プレーがすごい」だけでは無理なのです。リーグなどで試合数も増えてきましたし、しっかりコンディションを整えて、球団ともしっかり向き合わなければなりません。また、地方遠征などがありますから選手同士での集団生活の必要性も出てきます。このような「プレー以外」のことが時代の変遷とともに重要になってきたのですね。
そして、実際、競技以外の生活がしっかりできている人が勝つということが分かってきました。スポーツ選手が試合や練習などでフィールドに立っている時間は意外と少ないです。このフィールドで一生懸命練習したりすることはもちろん大事ですが、それ以外の生活がとても大事だということです。「人の話を傾聴することができるか」「マウントを取りたいところを我慢して対話ができるか」「嫌なフィードバックをしっかり受け止めることができるか」なども、この “オフザフィールド” に含まれます。人が成長する軸のほとんどは、ここにあります。
高濱さん:これはすごく分かりますね。例えば、「トイレ掃除が大事」というのと共通していますよね。でもこれは、なかなか若い人には伝わりにくくて、「社長が新人に嫌な事をさせようとしている」と見られたりもします。僕はこの27年間、同じトイレの掃除を続けているのですが、これは「こういうことは、巡り巡ってくるんだぞ」ということを示すためです。簡単に言えば、例えば僕が悪く言われたとしても、トイレ掃除をしているというだけで、「いや、高濱さんは悪い人ではないよ」と思ってもらえたりするとも思います。
優勝などのオンザフィールドばかりが注目されがちですが、「“オフザフィールド” を磨くためにスポーツをしている」などといった風潮になるといいですよね。
人格がちょっと…と、プロスポーツ選手に破綻した部分があっても、これはこれで面白いですし、ありだと思うのですが、「子どもに何故スポーツをさせるのか?」と言う点では「皆に認められて、一緒に仕事をしたいと思われるような、中竹さんのような立派な社会人になるため」であって、そのためには「 “オフザフィールド” が重要」ということが親として分かっていると、全然違ってくると思います。
「ピアノのコンテストに勝てばいい」といったような結果勝負で、「それでいいの?!」と言いたくなるような育て方もありますからね。ピアノの練習が終わった後の態度や、先生への口の利き方、また、全く関係ないように見えるかもしれませんが、八百屋さんで買い物をするときの態度などが大事なのですよね。
これは社長軍団にも表れますよね。ウェイターさんやウェイトレスさんに対する態度が急に変わる人がいたりして。エラそうにしたいのですね。
中竹さん:タクシーの運転手さんへの態度などでもその人が分かったりします。
高濱さん:そうですよね。これはっきり出ますよね。「そのあなたの意識こそがダサいんだけど」と思いますけどね。本質的には全然エラくないのですから。このような人は、弱いからこそ、「こっちが上なんだ」と示したくなるのでしょうね。
中竹さん:そうですよね。オフザフィールドのいいところは、相手ありきのオンザフィールドと違って、全部自分でコントロールすることができることです。トイレ掃除、挨拶、人に対する態度にしてもそうです。自分が存在する意義を自分で作っていけるという超いい機会なのです。
また、スポーツで言うと、オンザフィールドでの勝者は、ほんの一握りになってしまいますが、勝ち負けのないオフザフィールドでは「いかに “自分で” 実績を積むか」ということですから、僕は、安心・安全でラクだと思います。試合の勝敗の前に、いかに自分に勝つかですね。
高濱さん:そうですよね。オンザフィールドは「相手がどう走ってくるかわからない」といったような、不確定要素ばかりですからね。
オフザフィールドの重要性が社会に浸透すれば、社会はすごく良くなると思います。子育てにしても「オフザフィールドのためにやっているんだ」となれば、負けようがなんだろうが「負けちゃったのね。頑張って。でも努力の足りなかったところはあるんじゃない?」と言えたりすると思います。「負けちゃったの?!」ではなくですね。
中竹さん:最近の話題でいうと、大坂なおみさんは、一段上のオフザフィールドを体現していると思います。
高濱さん:すごいですよね。
中竹さん:彼女は黒人差別に抗議して、差別を受けた7人の方の名前の書かれた黒いマスクをしました。一昔前だったら、「スポーツ選手は社会活動家でないのだから、スポーツに集中しろ」と言われたと思いますし、負けたら「そんなことしているから負けたんだ」と言われるリスクもあったわけですよね。でも、テニスと、テニスと関係のないメッセージを伝えることを両立させました。
高濱さん:本当にスポーツ界の画期的場面だったと思います。人として大事にしている「価値観」を前面に出すことができた。本当にかっこいいですし、これを認められないスポンサーはアウトですよね。それで離れるファンはそれまででいいのです。勝っても、そういう差別をしている世界では意味ないということですよね。
意思決定は自分で ― 親はいかにして見守るべきか
― 質問をいただいています。2人の小学生の娘を持つ母親です。「オフザフィールドは負けがない世界」というお話は目からウロコでした。オフザフィールドのために、家庭ではどのようなことができるのかを知りたいです。
中竹さん:お子さんが決めたことなら、何でもさせてあげるのがいいと思います。
日本では、「不言実行」の美徳がありますが、これはマネジメントやリーダーシップの世界では、あまり機能していません。むしろ「自分で決めて宣言して実行し、実行したと伝える」。このことが自分を承認することに繋がり、自己肯定感を高めていくのです。「何時に起きてご飯を食べる」や「片付けをする」といったちょっとしたことでもいいので、このサイクルを持たせてあげられるといいかなと思います。
高濱さん:大人を見てても問題だなと思うのは「やらされている」人たちです。「自分の意志で選んだり決めたりする」という主体性のある人間を育てていきたいですよね。「決められない」大人が多すぎると思います。
中竹さん:そうですね。「自分で決めた」という決定感を早いうちから持たせてあげたほうがいいと思います。
高濱さん:転職も自分で決められず、「何したらいいんですかね」という人もいますからね。今まで選択してきていないから、単に「正解を求める」ことしかできなかったりするんですよね。こういう人たちは、「自分に合うのは何でしょう?」と周囲に問うのではなく、「自分で決意するべきこと」だというのが、分かっていないのですね。
中竹さん:これをテクニカルな面から言いますと、質問の仕方が大事というのもあります。小学生に何かを聞くときも、まずその子のレベルにあわせてあげます。今まで何も決めたことがない子に「何をする?」と獏然と聞くのはハードルが高いので、いくつかの選択肢を提示してあげるのがいいです。
高濱先生:それが、親が子どもに「こっちの薄い問題集とこっちの厚い問題集どっちがいいの」と一応聞いてはいるものの、子どもとしては「こっち…」と厚いほうを指さすしかないみたいなことってありますよね。子どもとしては親の気持ちを忖度するしかないような。それで「これあなたが決めたのに、何言っているの!」となったりね。
中竹さん:誘導質問ですね。皆さん、それは一番だめなパターンですよ。
高濱さん:小さいころは親が全てだし、特に母親が笑っていて友達と遊べたら、それで充分。世界が輝いて見えるものです。貧しさだって軽く乗り越えることができますよ。小さいころは、親という太陽が一番重要です。
これが中学生や高校生になると、親以外のいい師匠を持つことが大事です。生活についてもそうです。何故、掃除や挨拶が大事なのか? ということについても、「こうだ!」「それが人間にとって大事なんだよ」と理屈ぬきに言い切れる存在ですね。人生長く生きているから、このようなオフザフィールドの重要な点が言い切れるという。子どもは、このような指針を求めているものです。
中竹さん:言い切る力は大事ですよね。
高濱さん:そうですよね。大人がフラフラしていると子どもは不安になります。
中竹さん:コーチングの世界でも、原則、圧倒的に言い切る力を持っていないとだめですね。そうしないと人はフラフラします。
高濱さん:自分の哲学というか…これが今失われつつあることだと思いますね。究極には、自分の人生感を持つことがとても大事です。持ち切れていない大人があまりにも多いと感じています。「年収がいい」などの借り物の数値に寄りかかってしまうというか。
美人で、お金もあって、いいところに住んで…これで幸せなのはずなのにな…と。
中竹さん:「はず」というのはアテになりませんからね。
高濱さん:自分で選んだものには自信が持てますが、世間的な他者評価に寄りかかっていては幸せになれませんよ。自分のことは騙せないですからね。「やりたいことを自分の基準で決めてやりきる」とうのが基本です。
先程の話に戻りますが、中学生・高校生くらいの思春期というのは、放っておけば眠っていたり、悪いことが楽しかったりするので、がつん!と言える人がいることが大事です。
中竹さん:怒られる経験も大事ですよね。ただ、人を利用して「あのおじさんに怒られるよ」というのは良くないですよね。
高濱さん:そうですね。それはだめですね。思春期は、親に言われると何故か「うるさい!」となりますが、大好きな監督などナナメの関係の人から直接言われたことなら鵜呑みにできるものです。
― 質問がきています。子どもが「決める」ことで大事な要素は、ビジネスで言うところの「目標設定」と一緒ですか?
中竹さん:そうですね、イコールですが、そこまで具体的にロジカルに考えなくてもいいいかなと思いますね。それより、それが自発的に湧いたものかどうかが大事ですね。突発的に「これやりたい!」ということもあると思いますし、それを見守ってあげるべきだと思います。
高濱さん:子どもは大人にとって価値のないことに熱中するものですからね。小さいころは特にそうですよね。石を集めたり、虫を集めたり…。ただ、本人にとっては、それが心奪われることなのです。「関心」がキーワドですね。ただ、大人から見て必要と思う枠組みの提示もしなければなりませんから、そのバランスが難しいですね。僕はよく「家訓を作ったほうがいい」と言うのですが、「これだけは絶対守らせる」ということを決めて、あとは自由にさせるのがいいと思いますね。
オフザフィールドを豊かにする―目標に出合うための土壌作り
― 質問です。長期的な目標設定は、小学生より小さな子にはまだ難しいと思います。何かヒントになることがあったら教えてください。
中竹さん:これは大人もそうだと思いますが、目標をたくさん作ったほうがいいと思います。目標を絞らなければならないということはないと思っています。
高濱さん:そうですよね、絞る必要は全然ないと思います。小さいころはちょこちょこ変わって当たり前なんだということですよね。18歳くらいで人生の目標を定めたとしても、32歳、33歳くらいまでは揺れ動くものですし。でもそこを越えれば、あとはひたすら突き進むことが出来るものだと思います。10代のころは、目標がちょこちょこ変わって当たり前です。
中竹さん:毎日変わっているくらいが丁度いいのではないでしょうか。
高濱さん:そうですよね。出来ない目標を立てて、それでしょっちゅう失敗して…そういうものです。
― 出来もしない目標について、親御さんにはいろいろな思いがあるとおもいますが。
高濱さん:親心はもう、どうしようもないですよね。思うことは自由だと思います。願いを預けた結果、将来イチローになることもありますし、それはその親子それぞれだと思います。ただ、「最後に選ぶのは本人だ」というのは大事なポイントです。抑圧的な関係だと、子どもは親が喜ぶ方を選ぶものですからね。50歳になって「私は医者になりましたけど、本当は発掘だけやっていたかったんです」と、しみじみ悲しそうに言う人もいます。親としては「医者の方が安定しているのだから」ということだったのでしょうし、親に悪気はないのですよね。「安定した人生を送って欲しい」という願いから出る言葉なのですから。ただ、これを振り払って、いかに自分で決めるか。これが重要です。
中竹さん:親や先生、または世の中に引っ張られることも含め、出合いというのは偶発的だと思います。この偶発が生まれる土壌を作るためにも、オフザフィールドが大事だと思っています。オフザフィールドが乏しかったり、窮屈だったり、ストレスフルな状況だったら、目標に出会えません。キャリアにおいて、「計画的偶発性理論」というものが注目されていますが、これは、「ほどとんどのキャリアは本人も予測しない偶然による」というものです。では、手放しにその偶然がやてくるのを待てばいいのかというと、そうではなくて、偶然を招き寄せるための土壌を作っておくべきなのですね。
計画的偶発性理論
計画された偶発性理論とは、スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授らが提案したキャリア論に関する考え方。 個人のキャリアの8割は予想しない偶発的なことによって決定される。その偶然を計画的に設計し、自分のキャリアを良いものにしていこうという考え方。
ですから親は、「その目標はだめ」などど判断する前に、子どもから何かが湧き出てきたこと事体が、次に繋がる「素晴らしいこと」であるという認識を持った方がいいですし、その源泉がどうして湧いてきたのかを一緒に探って共有しておくと、次につながるのではないかと思います。
高濱さん:今のお話で見えたことがありました。親には、「行ってほしい方向」があっていいと思います。ただ、そのための環境を整えるのが親の役割ですよね。例えば、岡田光信さん(高濱正伸先生の著作『子ども時代探検家 高濱正伸のステキな大人の秘密 なぜか全員農学部編』に登場)という、宇宙ゴミを集める画期的な会社を立ち上げた人がいます。世界中で誰もやったことがないことを成し遂げたスゴイ人です。
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岡田さんは農学部を出てから、世の中を何とかしたいと猛勉強をして当時の大蔵省に入り、かと思うと今度は、有名な外資系の会社で自分を鍛えたりしています。そして、40歳になって「まだまだ本当の自分ではない」「自分が一番やりたかったことは」と立ち止まります。彼は、中高一貫校を出ていることもあり、それまでは「世の中で価値のあること」を優先させてきたのだと思います。ところが40歳で自分を省みることになったわけです。
この時に岡田さんが思い出したのが、高校1年生の夏にNASAのスペースキャンプで毛利衛さんに出会い、「岡田光信君 宇宙は君たちの活躍するところ」という手書きのメッセージをもらったときの感激というか、むしろ「激震」に近いような気持ちでした。また当時、親がこのいいタイミングで雑誌の「Newton」を買ってくれたりしているのですよね。それで自然と読むようになった。これらが岡田さんの「いま」に繋がっているのですよ。やはり、親が出合いをセッティングしてあげるというのは大事だなと思います。人間は、憧れが原動力となるものですから、憧れる人や物事に出会えるかどうかというのは、大きいポイントですね。
僕は世の中のすごい人、スーパーマン研究をしていましたが、やはり人に憧れてその道にはいったという人も多いですよ。ですから、もし親として医者がいいと思うならば、ステキなお医者さんに会わせてあげるとうのも一つですよね。
― 質問をいただきました。親から見て、人とうまくやっていく力が少し弱いかなと思う小学校2年生と3年生の子どもがいるのですが、どうすれば直すことができるでしょうか。
高濱さん:その年齢だと、学校でまずいことがあっていいですし、それはこれからどう振る舞えばいいのか自分で学んでいくべきことです。
僕の場合は、その日あったことを全部日記に書いていました。中学生くらいのころですかね、何か友達から疎外されているなと思っていたことがあったのですが、今考えれば、「君がボールを逃さなければ(エラーしなければ)……」などと平気でハッキリ言たりしていて、嫌な子だったのですね。それで日記を書いていくことによって、「思ったまんまを言い過ぎているようだ」ということに気づくわけです。自分のことはだんだん客観的に見えてくるようになるものですよ。
中竹さん:僕は、ご質問なさった親御さんが何をもって「うまくいっていない」と思っていらっしゃるのか、気になります。自己コントロールできていないということを本人が自覚しているのなら、「どういう風な言い方をすれば、もっと仲良くなれるのかな?」などと問いかけをすることができるので、いい状態だと思います。ところがこれが、「相手が…」などといった関係性の話になると複雑になってしまうので、“お子さんが”どんなジレンマやストレスを抱えているのかにフォーカスしたほうがいいと思います。
高濱さん:子どもとしてはそれなりにこなしているつもりでも、親としては物足りないということがあります。
中竹さん:そうですね。言葉では説明できなくても、子どもなりに「その子とうまく付き合いたくないそれなりの理由」があるのかもしれないですから、一方的に「それではだめだ」と決めてしまうのは良くないかもしれないですね。その理由も含めて本人にしっかり聞いたら、「なるほど」と思うこともあるかもしれません。
高濱さん:そうですね。とりあえず、本人の言葉を聞きたいところではありますよね。
― 高濱さんの「親は子どもの出会いをセッティングする」という言葉が好きです。ただ、コロナでなかなか外出もできません。何かいいヒントはありますか。
高濱さん:直接会ったり触れることが全てではないので、本でもいいですし、動画でもいいです。「この本が自分を変えた」という人も結構いますよ。生身の人間から直接聞いたからこそ沁みるということもありますが、いろいろな形で親がステキだなと思う人と出会うチャンスを作ってあげるといいと思います。まあ、子どもはそのうち、親がそうとも思わない人を「ステキだな」と思うようになったりするものですけれどね。
中竹さん:出会いは人でなくても、音楽や絵でもいいと思います。機械でもいいかもしれないですし。僕がイギリスに留学したときの一番の収穫は、社会学に出合ったことでした。世の中のもやもやを俯瞰的に見ることができる学問があったのかと思いましたね。もっと若いうちに見つけていればよかったと思いました。
高濱さん:学問は面白いから皆しているのですよね。最終的に面白いのは学問だと思います。
中竹さん:探求ですよね。
高濱さん:そうですね、探求ですよね。自分で何かを掘り起こしている時って面白いですからね。誰にほめられるわけでもないのに楽しい。社会学のような先人の知が結集したものを見させられると「すごい!」と感動しますよ。
中竹さん:そうですよね。それと自分の経験がつながると「これか!」と思います。人には、モノとモノを繋げて意味付けしたがる性質があると思いますが、それも快感ですよね。僕が高濱先生とお話することが楽しいのもそれだと思います。
高濱さん:中竹さんのお話は本当に面白いですよね。思いがけないところからヒントが出てきたりしますから。
子どもの可能性を引き出す「目」― 量と時間を大切に
― 最後の質問です。『どんな個性も活きるスポーツ ラグビーに学ぶ オフ・ザ・フィールドの子育て』の「子どもを伸ばす親になるための6カ条」について、子どものどこをみることが大事なのでしょうか。
子どもを伸ばす親になるための6カ条
①一番大事なのは、わが子をよく見る「目」②心を見るコミュニケーション
③本当に安心できる居場所になる
④他者評価で考えない、他者との比較を基準にしない
⑤存在承認の最大の理解者になる
⑥その子らしさを見つけて認める
高濱さん:こちら、最初に僕が説明しますね。指導者のあるべき姿からお話ししますと、「今日はこういう指導案に沿ってこういう授業をしよう」と計画通りに進めるというのではなくて、実際の子どもたちを見ながら、臨機応変に新しいカードをきることができるのが理想なんです。ライブ感ですよね。その場でいろいろキャッチしながら、いかに子どもを引き付けるか。過去の有名な教育者はその力に優れています。目の前の子どもがワクワク生き生きしているかですね。そうでなかったら、「では何が問題なのだろう?」と考えることです。
親が決めた「頭がよくなるというウワサのドリル」をやっちゃいるけれど、目が死んでいるぞ、ということもありますからね。それでは、何も伸びていません。
中竹さん:僕は、その人の目をよく見て「その人がどこを見て何をしているか」を注視します。スポーツでも、監督をチラチラ見ながらプレーする選手がいます。このような選手は、親の目を気にしながら育ったのでしょうね。集中力も削がれていますし、目的も違うところに向いています。
僕は、大事なことをする際には「量」がまず重要だと思っています。つまり、選手を見る時間や空間を増やすのです。日本のラグビーの礎を築いたエディー・ジョーンズ監督にしてもジェイミー・ジョセフ監督にしても、とにかく「目」がすごいのです。レ―ザーのようですよ。ボールがないところもサーチしていますし。
エディー・ジョーンズ監督は、スタッフが机の上に携帯を置いた瞬間に、携帯カバーを変えたことに気づいたりもしました。それくらい見ているのですよ。今私たちはスマートフォンの画面ばかり見ていますが、いかに人をみることができるかも問われますよね。「いかに子どもを見ることができるか」。その量を増やすことです。
高濱さん:お母さんやお父さんこそ、我が子が生き生きしているかどうか、一番分かっているものですよね。後ろ姿や立ち姿だけで「今日元気がないな」と分かったりするのですから。「あのドリルをやらせたからだな」とかね。
― 最後にひとことお願いします。
中竹さん:『どんな個性も活きるスポーツ ラグビーに学ぶ オフ・ザ・フィールドの子育て』の「子どもを伸ばす親になるための6カ条」にも書いてあるように「他者と比較しない」ということ、「その子らしさ」を大事にすることが重要だと思います。
過去からどう変化し、今、どうなっているのかを見ながら、過去を少しずつ承認してあげて、お子さんが自分を形作っていく過程を支援してあげられるといいかなと思います。
僕もまだまだ課題がたくさんありますし、僕ができることといえば、「教えている人への承認」です。お父さんやお母さんに対してもそうです。「苦労していますよね。」と。指導している方たちも、他者と比較するのでなくて自分らしくあってほしいと思います。今日はどうもありがとうございました。
高濱さん:他者評価の点でお話しますと、親が何故子どもを叱っているのか?その理由に、人目を気にして、「これを叱らないでいたら変なお母さんと思われるかもしれない」というものあるかもしれないですよね。その人の哲学で「それは絶対だめだ!」と言い切っているならいいのですが、そうでないと、子どもにも問題が起きたり、お母さん自身も追い込まれてしまいます。
ここは個人の哲学が試されると思います。何歳からでも遅くないので「私自身が幸せであるかどうか」もしっかり見つめてみてください。それを突き詰めると、「この子の笑顔があればそれでいい」というところに行き着いたりするものです。「なんであんなに怒っていたのだろう」などど思うかもしれません。自分にとって大切なことを明らかにして子育てされるといいと思います。
中竹さん:本当に素敵な子育てでありますように。
OFF THE FIELD 〜オフ・ザ・フィールドの子育て〜
―中竹竜二( Nakatake Ryuji )
株式会社チームボックス代表取締役
日本ラグビーフットボール協会理事
1973年福岡県生まれ。早稲田大学卒業、レスター大学大学院修了。三菱総合研究所を経て、早稲田大学ラグビー蹴球部監督に就任し、自律支援型の指導法で大学選手権二連覇を果たす。2010年、日本ラグビーフットボール協会「コーチのコーチ」、指導者を指導する立場であるコーチングディレクターに就任。2012年より3期にわたりU20日本代表ヘッドコーチを経て、2016年には日本代表ヘッドコーチ代行も兼務。2014年、企業のリーダー育成トレーニングを行う株式会社チームボックス設立。2018年、コーチの学びの場を創出し促進するための団体、スポーツコーチングJapanを設立、代表理事を務める。
ほかに、一般社団法人日本ウィルチェアーラグビー連盟 副理事長 など。
著書に『新版リーダーシップからフォロワーシップへ カリスマリーダー不要の組織づくりとは』(CCCメディアハウス)など多数。
2020年、初の育児書『どんな個性も活きるスポーツ ラグビーに学ぶ オフ・ザ・フィールドの子育て』を執筆。
◆『オフ・ザ・フィールドの子育て』の紹介◆
本書では、「多様性」というキーワードに着目し、それを独自に育んできたラグビーに学ぶことで、子どもたちに多様性を身につけてもらえる、子育てをよりよくできるのではないかと考えました。教えてくれるのは、「コーチのコーチ」をしてきた“教え方のプロ”である中竹竜二氏。
さらに、花まる学習会を主宰する高濱正伸先生から、著者の考えに対して、
「子育て」や「学び」の観点から、適宜コメントを入れていただきました。
また、巻末にはお二人の対談を掲載し、ラグビーに学ぶことの意義についてご紹介しています。改めて「ワンチーム」という言葉の意味や、ラグビーが大事にしてきた「オフ・ザ・フィールド」という考え方を知ることで、わが子の個性をどのように活かしたらよいかを考えるきっかけとし、わが子が実際に輝ける場所を親子で一緒に見つけてほしいと思います。
“サンドウィッチマン推薦! ”
ラグビーがなかったら、いまの俺たちはいなかったと思う。「中竹さん、ラグビーから学んだことは、今に活きています! 」
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―高濱正伸( Takahama Masanobu )
花まる学習会代表
NPO法人子育て応援隊むぎぐみ理事長
算数オリンピック作問委員。日本棋院理事
1959年熊本県人吉市生まれ。
県立熊本高校卒業後、東京大学へ入学。
東京大学農学部卒、同大学院農学系研究科修士課程修了。
1993年、「この国は自立できない大人を量産している」という問題意識から、「メシが食える大人に育てる」という理念のもと、「作文」「読書」「思考力」「野外体験」を主軸にすえた学習塾「花まる学習会」を設立。1995年には、小学校4年生から中学3年生を対象とした進学塾「スクールFC」を設立。チラシなし、口コミだけで、母親たちが場所探しから会員集めまでしてくれる形で広がり、当初20名だった会員数は、23年目で20000人を超す。また、同会が主催する野外体験企画であるサマースクールや雪国スクールは大変好評で、年間約10000人を引率。
各地で精力的に行っている、保護者などを対象にした講演会の参加者は年間30000人を超え、なかには“追っかけママ”もいるほどの人気ぶり。
障がい児の学習指導や青年期の引きこもりなどの相談も一貫して受け続け、現在は独立した専門のNPO法人「子育て応援隊むぎぐみ」として運営している。
公立学校向けに、10年間さまざまな形での協力をしてきて、2015年4月からは、佐賀県武雄市で官民一体型学校「武雄花まる学園」の運営にかかわり、市内の公立小学校全11校に拡大されることが決定した。
ロングセラー『伸び続ける子が育つお母さんの習慣』ほか、『小3までに育てたい算数脳』『わが子を「メシが食える大人」に育てる』『算数脳パズルなぞぺ~』シリーズ、『メシが食える大人になる!よのなかルールブック』など、著書多数。関連書籍は200冊、総発行部数は約300万部。
「情熱大陸」「カンブリア宮殿」「ソロモン流」など、数多くのメディアに紹介されて大反響。週刊ダイヤモンドの連載を始め、朝日新聞土曜版「be」や雑誌「AERA with Kids」などに多数登場している。
ニュース共有サービス「NewsPicks」のプロピッカー、NHKラジオ第一「らじるラボ」の【どうしたの?~木曜相談室~】コーナーで第2木曜日の相談員を務める。